14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が、30場所ぶり2度目の優勝を果たした。

3敗の単独トップで迎えた千秋楽。敗れれば優勝決定ともえ戦にもつれ込む本割の関脇御嶽海との一番を制し、13勝目を挙げた。14日目には同部屋の照強が新大関朝乃山を破る“援護射撃”も受け、15年夏場所以来の優勝が決まった。殊勲賞、技能賞の三賞2つも獲得した。

両膝の負傷や内臓疾患に苦しんだ男が、4カ月ぶりに再開した本場所で主役となった。大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降では2人目。優勝と優勝の間で十両以下に陥落した力士はおらず、史上初の快挙となった。

初優勝から5年2カ月がたっていた。当時の優勝は初土俵から所要25場所で、年6場所制となった1958年(昭33)以降では貴花田、朝青龍に続き歴代3位となるスピード記録。その場所後には大関昇進を決めるなど“次期横綱”の呼び声が高かった。

しかし昇進後は両膝のけがに加えて、糖尿病や肝炎にも苦しみ、17年秋場所で大関から陥落。「大関から落ちて親方に何回も『やめさせてください』って言いに行った」と気持ちは切れかけたが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に「とりあえずは治してから話をしよう」と引退を慰留された。1年以上かけて土俵に戻る決心を固め、昨年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。負け越し知らずで番付を上げ、初場所で再十両。返り入幕となった今場所、ついに“奇跡のカムバック”を実現させた。

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で逸ノ城らと一緒に来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」として11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。14年春場所が新入幕。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、180キロ。血液型はO。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、寄り。愛称は「ガナ」。

◆記録ずくめの復活V 30場所ぶりの優勝は、琴錦の最長43場所ぶりのブランクに次ぐ。優勝制度ができた1909年(明42)夏場所以降、平幕優勝は32人目。幕尻優勝は00年春場所の貴闘力、今年初場所の徳勝龍に続いて史上3人目(1年に2度は史上初)。返り入幕の優勝は徳勝龍以来。優勝と優勝の間で十両以下に落ちたケースはなく、序二段まで落ちて幕内復帰を果たしての優勝は史上初。照ノ富士が初優勝した15年夏場所は関脇で、関脇以下で2度の優勝は貴花田、琴錦、御嶽海らに続いて8人目。同一年に平幕優勝が2度あったのは92年初場所の貴花田、名古屋場所の水戸泉以来28年ぶり。