鉄人が砕け散った日〈番外編〉タイソンから井上尚弥へ~34年の時を貫く東京Dの衝撃波

プロボクシング4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥(31=大橋)が5月6日、東京ドームで元2階級制覇王者ルイス・ネリ(メキシコ)と防衛戦を行う。

同会場でのプロボクシング興行は1990年2月11日の統一世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)の防衛戦以来、実に34年ぶり。

「アイアン」(鉄人)の異名で史上最強と呼ばれたタイソンは、井上と同じように圧倒的な勝利で無敗のまま王座を統一したが、東京ドームで挑戦者ジェームス・ダグラス(米国)に10回KO負けした。この一戦は“世紀の大番狂わせ”として今も世界で語り継がれる。

あの時、全盛期の無敗王者にいったい何が起きていたのか。なぜ伏兵に無残な敗北を喫したのか。来日から敗戦までの27日間、タイソンに密着取材した筆者の取材ノートをもとに、34年前にタイムスリップしてタイソンの鉄人神話崩壊までをたどった。

番外編は、伝説の一戦が日本ボクシング界にもたらした進歩を振り返る。(敬称略)

ボクシング

5・6東京ドーム興行に向けて、井上が「ノーモア・タイソン」と意識する「世紀の大番狂わせ」―34年前を週2回連載で振り返りました。その番外編です

ビッグバン

1990年2月11日、東京ドームでボクシング史に刻まれる「世紀の大番狂わせ」が起きた。

“鉄人”の異名を取った無敗の統一世界ヘビー級王者タイソンが、伏兵の挑戦者ダグラスに10回KO負けを喫したのだ。

中継した日本テレビの視聴率は、昼間の試合にもかかわらず平均38・9%(ビデオリサーチ調べ)。KO負けの瞬間は51・9%を記録した。

その衝撃が、冬の日本ボクシング界に“ビッグバン”を起こした。

東京ドームで34年前に行われたタイソンの防衛戦は5万1600人の大観衆で埋まった(90年2月11日)

東京ドームで34年前に行われたタイソンの防衛戦は5万1600人の大観衆で埋まった(90年2月11日)

当時、国内のボクシングはどん底だった。

1988年(昭63)と89年(平元)の年間最優秀選手は該当者なし。89年は1年を通して現役の日本人世界王者がいなかった。

日本のジム所属選手の世界挑戦は、90年2月7日に大橋秀行がWBC世界ミニマム級王座を奪取するまで、88年1月から2年1カ月間で、実に21連続の失敗。“聖地”後楽園ホールでの興行は空席が目立ち、ゴールデンタイムが指定席だった世界戦のテレビ中継は、夜から休日の昼帯へと移行しつつあった。

それが不思議なことに、タイソン-ダグラス戦の前後から、国内の試合にも観客が押し寄せるようになった。

「タイソン戦の前後から、日本タイトルマッチでもない普通の10回戦の興行でも後楽園ホールが超満員になった。ブームが来たと思った」

そう大橋は証言している。

タイソン―ダグラス戦で日本テレビの解説を務めた元WBC世界スーパーライト級王者の浜田剛史は「タイソンはボクシングファンも、そうではない人も引きつけた」と振り返る。

観客だけではない。ボクサーを目指す練習生もジムに押し寄せた。

タイソン戦の翌91年のプロテスト受検者は、88年の1・5倍に増えていた。

浪速のタイソン

タイのチューチャード・ユーサンバン(左)に強烈なボディーを浴びせる辰吉丈一郎。東京ドームで行われたタイソン-ダグラス戦の前座試合で全国区デビューした(1990年2月11日)

タイのチューチャード・ユーサンバン(左)に強烈なボディーを浴びせる辰吉丈一郎。東京ドームで行われたタイソン-ダグラス戦の前座試合で全国区デビューした(1990年2月11日)

一方、タイソンの防衛戦を2度も成功させたことで、日本の国際的な評価も高まった。

「世界の日本を見る目が変わった。試合の解説で米国に行くと対応も全然違った」(浜田)

当時、デビューからKOの山を築き、無敗のまま3団体の世界ヘビー級王座を統一したタイソンは、ムハマド・アリと並ぶ歴代最強ボクサーと評されていた。

1試合の報酬が10億円を超える、世界で最も稼ぐスポーツ選手。試合は、カジノでも収益が見込めるラスベガスなど米国内の一部に限られていた。

そんな世界的スーパースターの防衛戦を、帝拳ジムの本田明彦会長がプロモート。東京ドームで2度も成功させた。

初めて米国以外で開催されたタイソンの試合だった。

世界的な評価と信頼、海外との太いパイプができたことで、日本選手の世界タイトルマッチの興行数も急増した。

87年には年間5試合まで落ち込んでいたが、タイソン-ダグラス戦の前座試合で全国区デビューした辰吉丈一郎が「浪花のタイソン」の異名で一気にスターに駆け上がるなど、92年には19試合に増えて、世界王者も一気に5人になった。

94年12月に名古屋で行われたWBC世界バンタム級統一王座決定戦、辰吉-薬師寺保栄戦の視聴率は39・4%を記録。

あのタイソン-ダグラス戦の数字も超えた。

WBC世界バンタム級統一王座決定戦で激しく打ち合う辰吉(左)と薬師寺=名古屋市総合体育館 (94年12月4日)

WBC世界バンタム級統一王座決定戦で激しく打ち合う辰吉(左)と薬師寺=名古屋市総合体育館 (94年12月4日)

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1988年入社。ボクシング、プロレス、夏冬五輪、テニス、F1、サッカーなど幅広いスポーツを取材。有森裕子、高橋尚子、岡田武史、フィリップ・トルシエらを番記者として担当。
五輪は1992年アルベールビル冬季大会、1996年アトランタ大会を現地取材。
2008年北京大会、2012年ロンドン大会は統括デスク。
サッカーは現場キャップとして1998年W杯フランス大会、2002年同日韓大会を取材。
東京五輪・パラリンピックでは担当委員。