星野仙一監督が席を立ってあいさつに出向き、40歳のこちらを“坊や”と呼んだ女性 貫禄に納得
もう21年前の2003年(平15)。闘将・星野仙一が率いる阪神タイガースの担当、いわゆる虎番キャップをしていた頃の話です。同業他紙を含め、当時のキャップの重要な仕事が“お茶会”でした。遠…[続きを読む]
◆高原寿夫(たかはら・ひさお) 取材生活30年を超える古だぬき記者。吉本興業から宝塚歌劇団、あるいはヤバい人たちの取材から始まり、プロ野球ではイチロー日本一(96年)星野阪神V(03年)緒方広島連覇(17年)などの瞬間に立ち会った。日刊スポーツ大阪本社編集委員。
もう21年前の2003年(平15)。闘将・星野仙一が率いる阪神タイガースの担当、いわゆる虎番キャップをしていた頃の話です。同業他紙を含め、当時のキャップの重要な仕事が“お茶会”でした。遠…[続きを読む]
22日は闘将こと星野仙一さんの誕生日です。1947年(昭22)生まれなので、生きていれば77歳。闘将として背負ったなじみの背番号と同じ数字になっていたところですが惜しくも18年1月4日に…[続きを読む]
また「1・17」が巡ってきました。当時、遊軍記者としてイチロー氏、オリックス・ブルーウェーブを取材していましたが、秋には「がんばろう神戸」を目撃させてもらったことを覚えています。けれど、…[続きを読む]
くろっ!「今年初お目見え」の阪神岡田彰布監督を見た印象はそれでした。ルーキーの合同自主トレが始まった9日。鳴尾浜にお邪魔して、その見た目に少々、驚いたのです。年明けに家族とともに南半球、…[続きを読む]
今年で36年目に入る記者生活でほんの少しだけ誇らしく思っていることがあります。それは自分の書いたものが教科書に掲載されてきたことです。日米球界のレジェンド・イチロー氏について書いた本の一…[続きを読む]