野球記録マニアの用語に「ノーヒット・ありラン」というものがある。野球の得点のことを、英語で「ラン」ということに由来する。相手を無安打に抑えながら、失点はあるという珍しい試合だ。プロ野球史上たった4度のみ。このうち5月に、この珍記録が3度起きている。

長いプロ野球の歴史の中で、たった一度だけ「ノーヒット・ありラン敗戦」が記録されたのは、1939年(昭14)5月6日のことだ。まだ1リーグ時代に甲子園で行われた、阪急(現オリックス)-南海(現ソフトバンク)戦での出来事である。

1点を先制した南海は6回、四球と失策で満塁のピンチを迎える。ここから犠飛で同点に追いつかれた。7回に四球で許した走者が、続く失策で一気に本塁を奪われた。宮口美吉、平野正太郎のリレーで阪急を無安打に抑えたが、味方の援護に恵まれず。このまま1-2で敗れた。

被安打0のチームが敗れたのは、長いプロ野球の歴史上これが唯一である。

完投によるノーヒット・ありランをやってのけた投手もいる。39年8月3日にイーグルス亀田忠が金鯱戦で、史上初の完投ノーヒット・ありランを達成した。

2人目は、2代目ミスタータイガース村山実だ。59年5月21日の巨人戦(甲子園)でのことだ。

2点リードの5回表。三塁手三宅秀史と、そして村山自身がそれぞれ一塁へ悪送球してしまい、同点に追いつかれた。6回に三宅が決勝ソロ本塁打。これを村山が14奪三振の力投で守り切り、3-2で勝利した。守備でのミスを、それぞれが挽回しての快勝だった。

このときの村山が、現状では最後のノーヒット・ありラン投手である。

さらに64年5月13日には、近鉄が牧野伸、山本重政のありランリレーで南海に勝利した。6回に四球で出た南海の広瀬叔功に二盗、三盗を許し、ピンチ拡大。杉山光平のゴロを二塁手ブルームが失策し、広瀬の生還を許した。なんとか失点をこれだけに食い止め、近鉄が3-1で逃げ切った。

ノーヒットノーランがちょうど100度達成されていることを考えると、ノーヒット・ありランの希少価値は際立つ。最後のありランの年に生まれた赤ちゃんは今年、還暦を迎える。記録マニアが喜ぶ珍記録の、再現はあるのだろうか。【記録室=高野勲】(22年3月のテレビ東京系「なんでもクイズスタジアム プロ野球王決定戦」準優勝)